第一号出版への苦労話と売込み法

                                                泉 山秋



私が「予知夢・運命の赤い糸」を出版したのが1998年でした。まあ、研究会の最初の出版でそれは色々苦労しました。
そこで、出版までのマニュアルと苦労話を織り交ぜて、これからご紹介します。

1.原稿を書く

これは当然必要ですが、動機は人、様々でしょう。本を出版するには、まずは原稿を書かなくては話になりません。 そういう訳で私も1997年12月より執筆を開始したのです。最初は便せんに手書きで始めたのですが、訂正する度に書き直したり、便せんを紛失したりで効率は良くありませんでした。そこで本を参考にして一行42文字、36行を一ページにセットしたワープロで執筆することにしたのです。ワープロのソフトは一太郎を使用して書き始めました。 
便せんであらかじめ書いていた原稿はアッという間に60ページ、つまり本にして120ページ程度になりました。さて。そこからがなかなか前に進みません。本を見ますと、どの本も大体200ページから290ページの本が多いもので、これでは必要原稿量の半分にもなりません。そこで、ある日、できていた60枚の原稿を内容毎に分類して分けて見ました。
そうすると大体8項目に分類できました。これで章が決定したのです。
そこで章毎にもう一度原稿を整理し、保存しますと長い原稿の章と、まったく短い章とに別れました。8項目の章をまとめますとそれが目次に早変わりし、大体の本原稿の骨子は出来上がったのです。
章毎に保存していたので、あとは原稿の少ない章に加筆するだけですが、章題に沿った文献を参考にしようと本を集めました。そうすると書きたいことが次々と生まれてきたのです。また、食事でもそうですが、箸休めのような内容も書いていったのです。たとえぱ 「いろは歌の謎」「かごめかごめ」当時流行っていたエヴァンゲリオンのことなど加筆していったのです。
そうこうしていると原稿も立派に150ページ、大体300ページの本の原稿となっていきました。 目次も増えて、立派な目次となりました。
原稿の内容のチェックはいつでもできます。その前に出版してくれる出版社を探し出す必要がありました。その当時、まったく、誰一人も出版社の人と面識が無かったのです。 


2.出版社への売り込み開始

出版に関する本を読みますと、原稿を持って各出版社に挨拶に行くべき・・・、などと書かれていました。
「冗談じゃない、そんなこと出きるか!」と私は思いました。
そこで、簡単な「出版企画のご提案」という一枚の挨拶文を作成しました。
  ○○出版編集長殿
  出版企画のご提案、「予知夢・運命の赤い糸」
 日本予知夢研究会 会長 泉 山秋
 この度、日本予知夢研究会の研究成果をまとめた「予知夢運命の赤い糸」という
 原稿が完成しました。原稿は完成していますので、添付した目次のどの章でもお
 送りします。
 ご検討の程、よろしくお願いします。
 連絡先 電話 ○○○○ FAX○○○○


そんな内容の挨拶文と目次の二枚を片っ端からFAXで出版社へ送ったのです。
FAX番号は持っていた本に記載されている出版社や毎日の新聞に掲載されている会社 すべてに送りました。
FAX番号がわからない出版社には電話を入れ「編集部のFAX番号を教えて下さい」という具合で、約100社にFAXを送りつけたのです。
そうすると「たま出版」「成星出版」「KKロンクセラーズ」などからFAXが入ってきたのです。 もちろん断りのFAXも入りましたが、とりあえず原稿を見たいという3社に原稿を郵送したのです。
最初に「たま出版」からFAXが入り「お会いしたい」というのです。
「ヤッター売り込み成功だ」
 私の取った売り込み方法が間違っていなかったのです。
本によるとFAXで送っても効果なし、と書かれていたのですが、私には自信がなぜかあったのです。
原稿を持って出版社を廻るなんてプライトにかけてやらないと思っていたのです。また、誰一人として知り合いはいません。大きな出版社だと編集部にも、どこの部署にも到達できないのです。
FAXが一番。これは現在も変わっていません。現在は私が所属している企画会社が売り込みを行ってくれます。しかし、私は三冊目まではすべてこのFAXでの売り込み方法で成功しました。所属している企画会社もFAXでの売り込みが中心なのです。


3.出版社と面接

最初に「お会いしたい」とのFAXが入った「たま出版」に出向きました。新宿は早稲田通り沿いにある小さな会社でした。
「先生の原稿はおもしろい、当社で出版したい・・・」という話になったのです。
ところがところが「たま出版」の責任者は「・・・、ところで先生、現在出版界は不況で、出版リスクを折半でやりたいのですが・・」というのです。
「・・・・、???」私は「チキショー」と思いました。
出版リスク折半とは出版の費用を半分こちらで持って欲しいという要請なのです。
この出版形式を取る会社は多いのです。たとえば「史輝出版」「現代書林」「悠飛社」など数えだしたらキリが無いほどです。
「そうですが、考えてご返事します」とたま出版を後にしました。
つづいて後日、成星出版の社長と面接しました。この出版社は当時「ノストラダムス」の本で勢いの強い会社でした。ちょうどパートVを企画していた時点だつたと記憶しています。ここでも協同出版のニュアンスでした。最後のKKロンクセラーズでは編集長との面接だったのですが「この手の本は売れなくて・・・」と不採用となったのです。
「さて、困った、協同出版なら出版することは簡単だが・・・」
そうです、当時私はまったく、まとまったお金がありませんでした。
「たま出版」での提案は3500部出版で印税6%というものでした。その折半リスクは220万円という提示でした。
しかたなく別の出版社を探すことになり、本屋に行って精神世界のコーナーにある出版社名をメモし、FAX売り込み作戦を続行したのです。
数日して、ある出版社の社長から電話が入り「お会いしたい」というのです。それが中央アート出版社だったのです。
原稿をもっていくと「担当編集長にこの原稿を廻します、その編集長からOKが出れば出版したい」というのです。そして、結果としてOKとなり契約することに成ったのです。「印税は8%でお願いします」という提案でした。本による情報では10%が平均の印税でした。つまり定価1800円の本ならば一冊売れて180円の印税収入になるのです。一万冊売れますと180万円と成ります。100万冊売れれば1億8千万という印税になるのですが、なかなかそのように売れる本は出現しません。
しかし、出版社での収入は莫大に成ります。たとえば一時キュービックキューブが流行しました。そのチャンスにいち早く目をつけた出版社はたちまち300万部の売り上げをして、その利益で購入したビルのほとんどをテナントとし今でも悠々と経営している出版社もあります。それほどに印税の%を決定する出版契約は大切なもので、私は「10%が普通じゃないのですが?」と中央アート出版の社長に尋ねました。
「そんな、丹波哲朗さんだって10%だったのですよ、新人のあなたは8%です」という説明で、仕方なく8%で契約したのです。
この出版社も一時「霊界」のテーマで丹波哲朗の本を出し、大当たりした出版社でした。まあ、なんとか、こういったことで第一号の出版契約が成功し「予知夢・運命の赤い糸」が発売されたのです。


4.出版されるまでの行程

ここからは本で書かれている通りの行程でした。原稿は編集長のチェックと訂正が入り、印刷会社に廻されます。印刷会社からただちに第一回目の校正用の原稿となって帰ってきます。それを私や編集者が誤字脱字などをチェックするのです。これを初校といい、第二回目のチェックを再校といいます。
これが完了するといよいよ製本です。製本は約10日で完了し、見本の本が出版社に提出てれるのです。出版社はその見本を取り次ぎ(トーハン、ニッパン等)に持っていき、いよいよ書店に配布されるのです。


5.出版後

印刷会社から直接取り次ぎ会社に搬送された本は、そこで各地の書店に出荷され、書棚に陳列されることになり、これで発売が開始されるのです。
通常の出版社では、新聞広告を打ってくれます。この新聞広告の費用は高価ですが、必要な経費なのです。広告でもランクがありますが、第一面の下に小さく掲載される広告でも50万〜120万の費用が必要なのです。特に朝日新聞では最初に契約する出版社はなかなか掲載されません。大手の出版社や取引の長い出版社の予約でビッチリ予約が詰まっているのです。
で、私の本ですが、新聞広告はゼロでした。二冊目もゼロ、三冊目の双葉社はさすがに大手の出版社でその点はやってくれたのですが、小さな力の弱い出版社の場合、新聞広告は望めないというのが実状です。
広告も一切なし、宣伝ゼロの私の本でしたが、「予知夢・運命の赤い糸」という題名も影響してか、少しですが売れました。


6.出版の影響

当時、日本予知夢研究会の会員は、私が雑誌などの広告で募集していましたが、なかなか「予知夢」をテーマにしますと変人扱いされたり、当時のオウムなどの影響で参加する会員は増えなかったのです。
ところが「予知夢・運命の赤い糸」が出版されますと、入会希望のFAXが寄せられはじめたのです。そして、あっというまに200名の会員となったのです。
日本予知夢研究会は費用ゼロの会としていましたので、200名の会員への連絡も大変です。事務作業も私一人でやっていましたので、200名への手紙や連絡手間、その経費もバカにならなく成ってきたのです。
そこで、「2003年の予言夢」の研究発表を最後に解散したのが1999年12月のことです。それから経費や時間のかからない方法ということでインターネットを利用することにし、2000年11月10日念願のホームページ開設となったのです。
無料で運営する会の場合、あまりに会員が増加すると日本予知夢研究会のようになってしまうことも多いでしょう。日本予知夢研究会では出版という行為にて解散を余儀なくされたのですが、また、出版によってより深い研究や人材が集まってもきたのです。

まあ、このようにして執筆した原稿が本となったのです。
日本予知夢研究会では私や飛鳥聡一氏に続く人材から、今後も色々に出版物を世に送り出して行こうと考えています。自分の意見や主張、研究などを本として世に送り出すことに自信をもって向かって下さい。また、研究会を通じて出版されたい方は、どしどし申し出てください。ただし入会基準合格者のみですよ。